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広島地方裁判所 昭和48年(わ)7号 判決 1974年4月03日

主文

被告人を懲役二〇年に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

理由

(被告人の経歴および犯行に至る経緯)

被告人は終戦後鳶職人として生活していたものであるが、その間昭和三〇年ころまでに窃盗、暴行、恐喝、強盗等の犯罪を重ねて四度受刑し、昭和三三年春ころから当時人夫をしていた川内多家子(当四五年)と肩書住居地に同棲を始め、同女との間に長男靖二(当一二年)、長女美和(当九年)をもうけたが、その後も窃盗を繰り返して三度実刑に処せられ、さらに昭和四五年一〇月に交通事故で受傷し入院したころから酒に耽り始め、同年一二月一〇日には慢性酒精中毒症により広島市内の安佐病院に入院し、翌四六年二月一旦退院したものの同年四月から一一月末まで再度同病院に収容せられるに至つた。内妻多家子は被告人のこうした生活に愛想をつかし離縁を考えていたが、同年夏ころから当時働いていた土木会社の同僚福村博己(当三二年)と懇の仲となり、被告人が退院した後の同年一二月末には遂に前記二児を残したまま家を出て同人と市内に同棲を始めた。被告人は、翌四七年一月右二児を認知のうえ、家庭裁判所において両名の親権者と定められ、また、多家子の母親ハルコ(明治三六年一二月一六日生)らと話し合つたすえ、未練を残しながらも多家子との内縁関係を解消し、その後同市内の鉄工所に熔接工として勤めたが、同年九月ころから再び酒に耽り始め、仕事にも出ず、子供等にも学校を休ませるなど荒んだ生活に陥り、同年一一月一六日には二児を連れて勤先に多家子を訪ねて窮状を訴え、同女も今後援助すると約束し、二万円を与えた。被告人は同日夜飲酒のうえ同市光南一丁目一三番一七号の前記福村方を訪ね、同人や多家子に面倒を見てくれなどと話し、その後一寸話があると多家子を連れて自宅に戻つたが、同女から「酔つて来ては駄目ではないか」などと言われたことに立腹し、「殺してやる」と叫びながら同女の首を締めつけ、さらに自宅まで逃げ帰つた同女の後を追つて乱暴を続けようとしたが前記福村らに阻止された。被告人はその後も連日の如く同人方を訪ね「借金があるので何とかしてくれ」「本当に面倒を見てくれるのか」などと執拗にまとわりつき、同人らも助力を約束し、時には金を与え、また同月一九日には前記ハルコとともに二児を祭見物に連れて行くなどしていたが、同月二〇日夜には被告人が飲酒、睡眠薬を服用したうえ前記靖二の通学する小学校の教頭を証人として同道し、「子供らの面倒を見るよう約束してくれ」などと迫つたため、遂にたまりかね同夜から被告人を避けて一時知人宅に寝泊りするようになつた。被告人はさらに同月二二日夕刻靖二から翌二三日多家子らに田舎に連れて行つてもらう約束であると聞き二児を福村方に向わせたが、同夜遅く帰つて来た二人から同人らが二、三日帰宅していないことを聞いた。翌二三日朝被告人はそれまでの多家子の態度に立腹し、自分や子供等は欺されているのではないかなどと考えて憎しみをつのらせ同女に面談詰問し、場合によつては同女を殺害するも止むなしと考えるに至り、近所の酒店で清酒三合余を飲酒したのち、前記の二児を連れて同日午前一一時すぎころタクシーに乗り、同女を捜して前記福村方を訪ね、次いで前記靖二の話から同女はその実家に帰つているものと考え、同市高陽町矢口一、七六一番地の三川内日出男方に向かつた。被告人は同日午後零時三〇分ころ同家付近に車を待たせ、同家内にいた前記ハルコら家人に多家子の所在を尋ねたが、同女が「来ていない」と答えたので、付近のタバコ屋等でなおも多家子の所在を尋ねたりした。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、同日午後一時三〇分ころ再度ハルコに会つて多家子の行方を尋ねようと考え、少し前に手押車を押して畑に出かけた同女の後を追い、再び前記タクシーで県道上を約5.600メートル北進したうえ、一人下車して山道を川内方の畑に向かい、同町矢口二、六七七番地の竹藪付近で木負子に白菜を背負つて降りて来るハルコと出会い、「こつちへ来んなさい」と同女を山道筋の前記竹藪内の平坦地に連れ込んだうえ、「多家子は来とるじやろう、隠さずに居る処を言うてくれ」と尋ねたが、「知らん、来とらんものは来とらんのじや、あんたらに話すことはない」などと冷たくあしらわれたことから口論となり、被告人が「あんたが多家子に別れ、別れ言うたからこうなつた」と言うのに対し、同女が「子供ではあるまいし四〇過ぎた人間を構われるかい」などと激しく応酬したことに憤激し、多家子に対する憎しみも手伝い、とつさに同女の殺害を決意し、やにわに前方から両手掌で同女の頸部を強く扼圧し、よつて、その場で同女を頸部扼圧により窒息死させて殺害し

第二、次いで、同日午後二時三〇分ころ前記タクシーで再び前記川内日出男方に引返すや同家(木造二階建家屋一棟建坪約七八平方メートル)を焼燬して多家子に対するうつ憤を晴らそうと企て、玄関土間にあつた二〇リットル入りポリエチレン製容器に入つていた灯油を同家四畳半の間の畳および台所板の間の中央部付近に撒布したうえ、右板の間の撒布個所に枕を置き、これにマッチで点火し、よつて前記川内日出男らが現に住居に使用する前記家屋を焼燬しようとしたが、間もなく帰宅した川内照子に発見されて消し止められたため、前記板の間の床板約0.16平方メートルを燻焼したにとどまり、焼燬の目的を遂げず

第三、さらに、前記タクシーに乗り、多家子を捜して同日午後三時一〇分ころ、同市光南一丁目一三番一七号の前記福村博己方に向かつたが、同女らが不在のため同家(木造平屋建家屋一棟、建坪約二八平方メートル)を焼燬して同女に対するうつ憤を晴らそうと決意し、付近のガソリンスタンドから一八リットル入りガソリン二罐を買つて同家に立ち帰り、靖二、美和の二児が同家六畳の間で石油ストーブをつけ、テレビを見ている間に、同家台所で酒を飲みながら、台所のプロパンガスのホースをレンジから抜いて同室内にガスを放出し、さらに同家4.5畳の間に前記ガソリン一罐を横倒しにしてガソリン約一八リットルを溢出させたうえ、二児を退出させるため前記六畳の間に通ずる襖を開けた際、右台所および4.5畳の間に充満していたガスを前記石油ストーブの火に引火炎上させ、よつて同日午後五時ころまでの間に前記福村博己らが現に住居に使用する前記家屋を全焼させもつて放火の目的を遂げ

たものである。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一九九条に、判示第二の所為は同法一一二条、一〇八条に、判示第三の所為は同法一〇八条に各該当するところ、所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、被告人には前記の前科があるので同法五六条一項、五七条によりいずれも同法一四条の制限内で法定の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により刑期および犯情の最も重い判示第三の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をなし、その刑期の範囲内で被告人を懲役二〇年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

一弁護人は、公訴事実第三につき、被告人は単にプロパンガスを放出したのみで、点火行為におよぶ前に右ガスにストーブの火が引火炎上したのであるから、被告人には未だ実行の着手がなく、放火予備罪を構成するにすぎないと主張する。

前掲各証拠によれば、判示福村博己らが現に住居に使用する家屋は、僅か二メートル余を隔てて、四方を木造アパート、住宅、車庫によつて囲まれた人家密集地の木造平屋建家屋(建坪約28.5平方メートル)で、玄関左手に板敷台所(約2.3平方メートル)、右手に4.5畳の間、その奥に六畳の間があり、玄関と台所および4.5畳の間との間は二枚ガラス戸で、台所と4.5畳の間とは四枚障子で、4.5畳の間と六畳の間とは二枚襖で隔てられた構成を有し、被告人は多家子に対する憎悪の念から同家の焼燬を企て、一八リットル缶入りガソリン二缶を購入して右4.5畳の間に搬入したうえ、靖二・美和の二児が六畳の間で石油ストーブをつけてテレビを見ている間に、台所で酒を飲みながらプロパンガスのホースをガスレンジから抜いて同室内にプロパンガスを放出し、さらに4.5畳の間にガソリン一缶を横倒しにしてガソリン約一八リットルを溢出させ、その後二児を連れ出すため、右4.5畳の間と六畳の間の境の襖を開けて六畳の間に入つたところ、同室内に充満していたガスが奥六畳の間のストーブに引火炎上し、まもなく同家および隣接家屋一棟を焼燬したとの外形的事実を認めることができる。しかしながら、弁護人の指摘するとおり、右プロパンガスの放出、ガソリン溢出の行為が放火罪にいう「火を放つ」に該るか否かは慎重な検討を要する。検察官は、被告人は、「奥六畳の間に点火使用中のストーブから引火するため」ガスを放出し、ガソリンを溢出させたのであるから、右はすでにそれ自体「火を放つ」行為であると主張する。なるほど被告人の検察官に対する昭和四八年一月一一日付供述調書には「火をつけるのはガスやガソリンを出しておけば、いずれは石油ストーブの火等にガスが引火して火事になると思つていた」旨の供述がある。しかし、被告人の司法警察員に対する昭和四七年一二月三〇日付供述調書には「私の考えとしては、子供は先に外に出して、もう一缶のガソリンを奥の畳の間に撒いて、火をつけて私は警察に行こうと思つていたのであります」との供述および第一回公判調書中には、どういうふうに放火するつもりだつたかとの弁護人の問に対し、「自分とすればまだ一缶残つておるんですから子供を出しといて、子供がテレビを見ておる部屋へもう一缶の石油を撒いといて、それで自分は火をつけようと思つたんですがね。それが襖を開けた瞬間に火がついたから、自分もうろたえて、子供を避難さすのが関の山だつたですね」との被告人の供述もあり、前記警察官に対する供述調書の記載のみをもつて被告人にストーブから引火させる意図があつたと速断することはできない。他方、これら被告人の各供述調書および前掲竹浦靖二の検察官および司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人は、飲酒しながら二児を道連れに心中しようかと迷い「ガス栓を抜いたのち、ついに二児を退出させることに決め、ガソリン撒布を一缶にとどめたのち、二児の靴を持ち、同人らを退出させようとして六畳の間に入つたこと、その際突如引火したため狼狽し、二児を救出しようとしたことが認められ、少くとも右引火の時点においてストーブの火に引火するであろうとの予測すらなかつたことが明らかである。右の事実に照らせば、被告人はむしろガス放出の当初からストーブの火に引火させるとの意図はなかつたことが窺われ、他にこの点を推測させる証拠もなく、右検察官の主張は証明不十分である。

つぎに、弁護人は、被告人にストーブに引火させる意図も認容もなく、かつ、点火行為におよんでいない以上その所為は予備にすぎないと主張する。右は放火罪の実行の着手を常に火力を開放する時点即ち点火の時点に求めるもので、同罪の重大性および特に予備罪が設けられていることに照らし十分傾聴に値する。しかしながら、被告人は、判示第二の放火ののち前記福村方を訪ね、同家への放火を決意して、ガソリン二缶を買い、これを同家へ搬入したうえ、前記のとおりガスの放出、ガソリン溢出の行為におよんだものであり、その放火の決意は極めて強度であると認められるうえ、右家屋は前記のとおり可燃性の高い木造家屋であり、被告人は密閉された右家屋の台所、4.5畳の間にレンジからホースを抜いてプロパンガスを多量にかつ相当時分にわたつて放出し、また4.5畳の間にガソリン一八リットルを溢出させたものであつて、これにより被告人の放火の企図の大半はすでに終了し、あとは点火を残すのみで、しかも点火と同時に既遂に達すると予測されるうえ、前記のとおりの対象物の可燃性および放出、撒布された媒介物の危険性に照らせば、右行為によつてもたらされた客観的危険状態はかかる媒介物なしに点火行為がなされたのと差異がないほど高度のものと認められ、未だ点火前とはいえ、右は既に予備の段階をはるかに逸脱し、放火の実行の着手があつたものと解するのが相当である。

なお、前記のとおり本件焼燬の結果はストーブの火に引火して生じたものであるが、前掲証拠によれば、被告人はストーブの燃焼している事実は認識していたものと認められ、右引火の事実は実行着手後の相当因果関係の範囲内にあるものと認められる。

よつて弁護人の右主張は理由がない。

二さらに弁護人は、被告人は判示各犯行当時飲酒により病的酩酊に陥り心神喪失の状態にあつたと主張し、被告人も事件のことは全く記憶がないと述べこれと同旨の主張をするものと解されるのでこの点について判断する。

被告人が昭和四五年末ころから慢性酒精中毒症により安佐病院に二回収容せられた前歴を有することは判示のとおりである。本件犯行当日の被告人の飲酒量については川本酒店における清酒三合の飲酒の事実を除いては被告人の供述以外の証拠がなくその正確な数量は必ずしも明らかでないが、被告人の供述によれば、同日午前中自宅で清酒二合を飲んだうえ、睡眠薬五錠を服用し、さらに付近の川本酒店で清酒三合余を飲酒し、その後タクシーで高陽町の川内日出男方を訪ねたのちハルコ殺害までにポケットウイスキー約半本を飲み、その後同市光南の福村博己方に向かうタクシーの中でウイスキーの残りを飲んだというものであり、前掲川本幸子、河野恵子、花野満廣の司法警察員に対する各供述調書によれば、同日午前被告人が一見して酔つている状態にあつたことが認められる。鑑定人長尾澄雄は精神鑑定書および受命裁判官に対する尋問調書において、被告人が病的酩酊に陥り易い飲酒傾向を有すること、本件犯行についての記憶を欠いていること、記憶の欠如が急激に訪れていること身体的麻痺の症状が見られないことなどを根拠として被告人は本件犯行当時病的酩酊状態にあつたと結論している。詳言すれば鑑定人は飲酒テストの結果被告人は比較的少量の飲酒量と比較的低い血中アルコール濃度において急激な興奮状態を示し、酩酊の終りにいわゆる終末睡眠を伴い、さらに後に全健忘を残すことなどから病的酩酊への素質を有すると認定したうえ、次いで犯行時の状況について問診した結果、被告人は山道で川内ハルコに出会い同女と口論となつたころから急激に記憶を欠如しており、右はその時点において酩酊が急激に進み意識障害を起こし病的酩酊に陥つたことを示すものであると説示し、さらに右問診において犯行について記憶がないと述べる点は前記飲酒パターンに照らしても十分信用しうるものであり、これに反し検察官および司法警察員に対する各供述調書において犯行の概略を供述している点については、被告人は自己顕示欲が顕著で、自己の行動を何とか論理的に説明しようという願望が強いため、自己の想起不能の行動を後でいろいろと推測し意味づけようとしたものであり、即ちこれらの供述は被告人の記憶にもとづかないものであると付言する。なるほど被告人が病的酩酊に陥り易い飲酒傾向を有すると思われることは鑑定人説示のとおりであるが、本件犯行当時被告人が病的酩酊にあつたことを推測させる最大の理由は同鑑定人自身述べているとおり、犯行についての記憶の欠如であると思われる。被告人は本件各犯行後自らも火傷を負い直ちに同市内の病院に収容せられ約一カ月余り入院したのち逮捕、勾留せられその間司法警察員および検察官に対し犯行の全貌をほぼ供述し、その後第一回公判廷においても公訴事実を凡て認め、弁護人の質問に対し犯行の概略を説明していたが、第四回公判になり、自分は犯行については記憶がなく、入院中に付添い看視の警察官らと雑談を交わすうち犯行の状況をいろいろ示唆され始めてそうであつたのかなどと推測して答えていたところ、逮捕後の取調べは右の入院中の雑談を前提にして一方的に尋ねられ、体調も悪く早く終りたい一心で凡て認めたものであり、結局右調書の記載は全く自分の記憶にもとづかないものであると前記鑑定人の説示に添う供述をなすに至つた。しかし、警察段階で被告人の取調に当つた証人中原治登は当公判廷において、自分は被告人が入院中は事件のことは話さない方針でありまた実際にも話してなく、同僚の警察官からも一、二の点を除き被告人の事件に対する供述は聞いておらず、逮捕後の取調べにおいても被告人はむしろ多弁で次々と事実を述べたものであると供述している。被告人の右各供述調書はほぼ全面にわたり犯行の状況を供述しているものであるが、被告人の意図、心理等主観的状況はもとより、犯行の客観的状況についても他の証拠からは推認しえない事実まで相当具体的は供述している一方、重要な事項についても記憶がないと述べ或は供述されていない点も多々あり、これら調書の内容からしてもそれが被告人の記憶にもとづかない捜査官の誘導と被告人の推測の結果であるとは到底考えられない、のみならず被告人は前記のとおり第一回公判廷において弁護人の質問に対し犯行の概略を供述しておりその供述内容に照らすとこれが被告人の記憶にもとづくものと十分認められる一方、第四回公判廷において右供述を翻し記憶がなかつたと述べるに至つた理由については何らの合理的説明もなく、公判の進行状況、就中第二、第三回公判において前掲鑑定書および鑑定人に対する受命裁判官の尋問調書が取調べられていることに照らせば、被告人がこれら鑑定人の説示にそつて供述を更めるに至つたものとも解され、右経緯からしても第一回公判廷における供述の方がはるかに信用しうるものである。右説示のとおりであるから、犯行について記憶がないとの被告人の供述を最大の根拠として犯行当時被告人が病的酩酊にあつたとの鑑定結果は採用することができない。被告人は右のとおり犯行全般にわたり相当詳細な記憶を有していると認められるうえ、前掲各証拠によつて認定される犯行時の行動も川内多家子に対する憎悪にかられ自暴自棄に陥つた行動としての一貫性を有するうえ、ハルコ殺害後下の畑の方に人がいるのが見えたので、暫時犯行の発覚を恐れて死体を竹藪の中に落とし犯跡の隠蔽をはかるなどの行為すら窺われ、また判示第三の放火に際しても子供らと心中しようかと悛巡した事実もあり、これらに照らせば被告人は判示各犯行当時是非善悪を弁別する能力を有していたものと認めるに十分である。よつて、この点に関する弁護人被告人の主張も理由がない。

(量刑の理由)

本件は、判示のとおり、被告人がかつての内妻川内多家子に憎しみを抱くのあまり、実家の母川内ハルコを訪ねて同女の行方を問い糺すうち口論となり激昂して右ハルコを殺害し、さらに多家子の実家川内日出男方、次いで多家子らの住居に放火して同女へのうつ憤を晴らそうとしたもので、多家子に対する恨みから僅か数時間のうちに殺人と二件の放火を次々に犯したという稀にみる執拗、狂暴な犯行であり、被害者の遺族らの憤りはいうまでもなく、社会にも深刻な不安を与えたものであつてその刑責は極めて重い。被告人はこれまでにも窃盗罪等により数回実刑に処せられた前科を有し根深い犯罪性、反社会性を有するうえ、本件に関しても今なお自己の立場の弁解に終始し、反省の情をうかがうことができない。ただ被告人は靖二、美和の二児に対しては犯行時も今もなお父親としての情愛を有しており、これが本件の遠因の一つであると思料されるうえ、すでに五五才の高齢に達していることなどを考慮し、被告人が良心を呼び戻すことを期待し、有期懲役刑を選択したうえ処罰刑の最高限度である懲役二〇年に処するのが相当と思料する。

よつて主文のとおり判決する。

(藤野博雄 宮城京一 竹崎博允)

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